故永岡氏への初盆のお供えとして盆灯篭(注)の手配をしたのは香川へ向かう日の前日であった。あいつにこんな風流なモノ似合わんなあ~と言いながら小田は灯篭の柄を選んでいた。
 
 
 
今回のツアーのセットリストはなかなか手ごわいものがあった。
 
♪そんなことより幸せになろう♪の次に自らのピアノ伴奏で♪東京の空♪、♪YES-YES-YES♪の次に♪さよならは言わない♪しかもMC無しに即、ピアノ前奏に入る。動から静への切り替え。なかなか困難な場面である。100m全力疾走して即、縫い針に糸を通すような作業である。ツアー当初はことごとくピアノをミスタッチした。♪さよならは言わない♪の出だし、E♭→B♭の分散をなぜが間違えた。その為、楽屋のエレピで本番間際まで練習を繰り返した。その成果もあって最近は間違うことも無く無難に演奏できるようになっていた。テアトロン二日目も順調にコンサートが進んでいた…。しかしこの時異変が起きた。
 
♪さよならは 言わない♪の最初の1小節E♭を弾き終えたあと小田の耳に遠くの方で何かが聞こえた。2小節目B♭を弾き終えたとき、それは上空を飛ぶジェット機の音であると分かった。空を見上げた。夕暮れ時の晴れわたった空が広がっていた。「ああ、いつもの空だ、いつもの…」やがて歌い始めた♪ずっと たのし かったね…♪…ん?いつもと何かが違う。普段なら淡々と歌うのだが最初でリズムが狂ってしまった。何が違うんだろう?「晴れわたった こんな日は いつでも 思い出す…」あ、永岡!あいつおれへんがな!なんでや!?テアトロンでエレピを弾く時はいつも斜め左で膝をついてこっちを見てるのに…。永岡の思い出がまるで走馬灯のように頭をグルグル回り始めた。
 
♪たとえ このまま 会えないとしても 
 
思い出に そして 君に
 
きっと さよならは 言わない 
 
決して …♪
 
その時、感情の崩壊が起こった。まるで子供のように泣きじゃくった。思わずエレピの右横に置かれていたタオルを折りたたまれたまま顔に押し付けた。
 
「小田さ~ん」「小田さ~ん」周りでファンの叫び声が聞こえる。
 
大きく深呼吸した。その時耳元で声がした。
 
「やっちゃいましたね」
 
永岡が悪戯っぽく言ったような気がした。
 
「ああ」
 
小田はそう答えるのが精いっぱいだった。
 
テアトロンの空をトンビがコンサートを見守るように弧を描いてゆったり飛んでいた或る夏の日の出来事だった。
 
おしまい
 
 
 
(注)盆灯篭とはお盆の時期にお墓に備える灯篭型の飾り。盆灯篭を墓に備える習俗は特に故永岡氏ゆかりの安芸地方(広島県西部)でみられる。