さぬき市野外音楽広場テアトロン初日の映像を掲載します。しばらくは美しい、楽しい風景をご鑑賞ください。
諸般の事情により総撮影枚数の20分の1くらいしか発表できないのは残念です。

この時点で青空!
♪空が高すぎる~ただそれだけで~言葉を~失くして~立ち尽くした日々~♪

明石海峡大橋

大鳴門橋

いよいよ「さぬき市」突入っ!

さぬき市役所前も青空やで~。皆さん日陰を求めて市役所の壁に沿って並ばれていました。

シャトルバス料金は高かったけど、デラックスバスだったので許せるかな?付き人が乗車したバスは補助席無しのたった27人だけのバスでした。

シャトルバス車窓見学。このあたりの民家は大雨の被害は無さそうです。無事で何より。

「バベ木の端(ハナ)」
太平洋戦争が終局を迎えた昭和20年、日本海軍は神戸で民間商船「島根丸」を護衛空母(約2万トン)に改造していた。神戸が空襲を受け、軍はこれを隠すため4月3日鴨庄湾に曳航してきて、この先の湾中央部に投錨した。
 住民は敵の発見を逃れるため、軍の要請で松の木を甲板に立て並べて偽装したが、何の役にも立たなかった。7月に入り敵機に発覚され、毎日のように艦載機グラマンの機銃攻撃を受けた。住民は恐怖にさらされ日夜逃げ隠れしていた。
 7月27日午後2時頃、B29数機の爆雷投下を受け、後部3分の1から折れ大破し沈座したが、正姿のためかその後も攻撃は続いた。近海また内陸にも移航阻止のためか多数の機雷が投下された。
 戦後になり、空母は浪速ドックの手により何年もかけて解体され、機雷も掃海処理された。現在、空母「島根丸」の一部である通信用マストは、今も近くの新開消防屯所の警鐘台と四国村に健在である。
 護衛空母「島根丸」が見えたバベ木の端(はな)-として往時の記憶がよみがえる立札が、平成20年5月文化財保護協会志度支部有志により立てられた。(さぬき市文化財保護協会志度支部より引用しました。)
こんなところにもアメリカの艦載機が攻撃したんですね。もうすぐ終戦記念日です。

シャトルバス降車場もこのとおり地面は乾いています。

まるで小学校の遠足のように、みなさん楽しそうに会場へ向かわれていました。自然と♪あいに~ゆく~♪のフレーズが頭の中を駆け巡ります。

バイク置き場横の公衆トイレは長蛇の列。大量の汗で排尿量は少なくなるはずなんですが、小田さんにもうすぐ逢えるという「緊張感」で…(^_^;)

このレストハウス、閉館になっているのはもったいないですね。普段は誰も来なんでしょう。宣伝次第だと思うんですが…。

今回はこの辺で…。次回をお楽しみにっ!