昨日、6月2日、いきものがかりから山下穂尊さんがグループから離れられることが発表されました。

水野良樹さんとは6歳の時からのお付き合いということで、中学生の時に出会った小田さんと鈴木さんよりもまだ幼少の時からのお友達だったんですね。

だから水野さんと山下さんとの間柄は、ツーカーで言葉を交わさないでも、なんでも相手のことがわかる・・・だからこそ、長い時間をかけて脱退を引き留めて、山下さんもそれを真摯に受け止め、今日(こんにち)に至ったものと思われます。

オフコースから鈴木さんが脱退するにあたっても、小田さんと何度も話し合われたそうです。

鈴木さんが脱退を表明されたのは1980年12月、MAC STUDIOの3階で小田さん、鈴木さん、上野マネージャー、西沢マネージャーの4人が山中湖の近くに専用のスタジオを作るハナシの途中でのことだったそうです。(出典:オフコースストーリーGive up 112ページ~ 山際淳司著:1982年8月1日 飛鳥新社刊 )

その日を境にして、心情的に演奏どころではかったでしょうね。

プロのミュージシャンとしてそこは「割り切って」・・・と言うのは簡単ですが・・・人間ですもの!

出会いが有れば、いつかは別れる・・・世の常ですが、山下さんの脱退が、よりによって、この異常な状況下の時期に・・・っていうのは非常につらいです。

付き人にとっても、先々月、初めていきものがかりライブへ参戦して、とりこになったばかりでした。

皆さんがオフコースのライブへ初めて参戦され、メロメロになられたのと同じよ~に・・・。

いきものがかりのライブの観客って意外と高齢の方が多いのにはびっくり!

小田さんの観客層と同じくらいかもしれません。

中年以上のオッサンの独り参戦も多数。←あんたもその中に入ってるんやがな!

高齢者が多いのは、NHK朝ドラの主題歌を歌っていた・・・というコト以外に、なにかひきつけられるものがあるんですね。

いきものがかりに引きつけられたオッサン(^^;)

鈴木さんが居たオフコースのコンサートをナマでご覧になられたファンの方を羨望のまなざしで見られるよ~に、山下さん在籍中のいきものがかりのライブに参戦した付き人も「ハクが付いた」感じです。←ケチ臭いハナシやな!

 

あの時、歌われた「YELL」は山下さんへの送別歌だったのかもしれません。

感染症対策のために、タオルを振るマネだけでしたが大いに盛り上がった「じょいふる」。

スタ☆レビのファンの方には「働きたい男のバラッド」の振り・・・とご説明すればおわかりいただけることでしょう。

あれで3人での「じょいふる」が終わってしまうなんて!

鈴木さんも、山下さんも、我々、一般人で言う「転職」・・・ということになるのでしょう。

自ら選んだ「転職」なので、前向きに応援すべきです。

問題は残された水野さんと吉岡聖恵さん・・・。

3人でうまく取れていたバランスを、1人抜けて、どう立て直すのか?

残された方がタイヘンです。

オフコースの場合、オフコース・カンパニーでプレイヤーとしての役員は小田さんと鈴木さんだけだったので、実質、小田さん独り取り残され、メンバー内で微妙な立ち位置になってしまったのは残念です。

小田さんは、清水さん、松尾さん、大間さんの音楽的感性を吸収され、その後の楽曲の制作に少なからず影響を受けられたことでしょう。

歴史に「もし」という言葉は禁句ですが・・・

スターダスト☆レビューのように、小田さんと鈴木さんだけがオフコースとして、若い3人がサポートメンバー体制を保っていれば、その後の展開は変わっていたのかもしれません。

そういった妄想が自由にできる楽しみを大切にしていきたいと考えています。