小田さんと東北大学建築学科で同級生だった藤森照信さんの対談10年ぶり、小田和正氏が本音で語る藤森建築の特質」が掲載されていました。
 
 
今回は後篇をお届けします。
 
司会者「創作するときの、自分なりのルールのようなものはありますか?」
 
藤森「私の場合、建築の歴史をやったり批評をやっていたから、設計するとき他人と似てはならないっていう、ものすごい圧迫があるわけ。だいたい歴史をやってる人が歴史っぽいものを設計すると、“あれは歴史家だから”でおしまい。戦後のアメリカの理論家に、そういう人が大勢いるんだよ。この程度のものをつくるために、あんなに難しいことを言ってたのかって。それは嫌だったから、先人がやったものとか、一般的なことはやっちゃいけないと思ってきた。」
 
小田「へえ。“歴史家だからこそオリジナリティーを”って思っていたのは意外だね。」
 
藤森「あ、そう?だって設計始めたの45歳だもの。自分で言うのもなんだけど、歴史家としてはちゃんとひと仕事した後だから。そういう、自分のなかの縛りはあった?」
 
小田「感じないかもしれないけれど、いわゆる“パクる”っていうのは自分のなかではタブーだったね。ありきたりの言葉が並んでるような歌詞に見えるかもしれないけど、そのなかで自分をどう出すかは考えた。」
 
藤森「パクるっていうのは細かいこと?聴いて分かるようなこと?」
 
小田「分かるようなものもあれば、うまくカモフラージュしてるのもある。でも、パクることは別に悪い事じゃない。あんまりだ、っていうのは問題だけど、自分のなかを通ったものであれば、これは明らかにあそこから来てるなっていうのであってもいいんじゃないの。難しいけどね。その判断は。」
 
藤森「私もいろんなものから学んでるけど、相当注意深く学ぶね(笑)。学んだっていうのが、「生」にならないように。栄養になってしまうくら、体に身に付いていれば。」
 
小田「でも、それがだんだん自分をパクることになるんじゃない。これはもうやったな、って。それは困るよね。」
 
藤森「小田はどうしてる?そういうことある?」
 
小田「あるよ。またそれかよって言われても、ちょっとクオリティーがいまいちかなっていうところで別の方向へ行くよりは、自分が納得するところに居ればいいんだろうなって、最近思うようになったね。」
 
藤森「私も今後、植物を屋根に植えたら、だいたいこれ(ラ コリーナ近江八幡)以下になるよ(笑)。で、どうしょうかっていうのはある。自分の作品が目の前にそびえるような…。ただ、無理し
て変なことをやるのは嫌じゃん。」
 
小田「いい話聞いたな。そうか、そんなに闘ってたんだ(笑)。」
 
藤森「闘ってなさそうに見えるのは、ある程度、立場上の余裕があるからですよ(笑)。設計事務所だと所員を養わないといけないけれど、自分1人でしょ。大学にいたから。小田は具体的にはどういうときに、自分の作品を自分で真似るような感じがするの?」
 
小田「その都度“何かのために取っておこう”ってことはできないわけで。今、こういうものをつくらなきゃいけないときに、できるものだけをぶちこんで、少しでも高みへ持って行こうとする。それで、次にまた同じようなテーマで書きゃなきゃいけないとき、この前全部使っちゃったなって。考えて、考えて、考え抜いて極上のものをつくったうえで、またさらに同じところで、この前もさんざんやったじゃんっていう経験は、結構してきたね。でもまあ、何とか闘い抜いたという感じかな。」
 
藤森「少しずらしたところでやると、展望が出たりしない?」
 
小田「理論的にはそうなんだけど、なかなか。人によっては、角度をずらすと違ったものが書けるとかいうから、違う方からとは思うけど…。」
 
藤森「私の場合は割と、自分の知らなかった建築材料で魅力的なものに出会うと、素材の力に導かれる。それは相当大きい。」
 
小田「ああ、それは分かる。」
 
藤森「どういうこと?」
 
小田「例えば、楽器。ピアノでやっていたのをギターでやってみると、また、違うものになるからね。楽器は持たないでつくってみようとかね。」
 
藤森「それは最初に決めるの?」
 
小田「いろいろ。最初に決めたり、途中、煮詰まってからそうしたり。」


 

 
司会者「後に続く若い世代にメッセージをお願いします。」
 
小田「オレは相当頑張ったから(笑)。頑張れとはうかつに言えない。オレほど頑張れるか、お前って。でもやっぱり、いまいちだと思ったら、いまいちじゃないところまで、高みを目標にしてやっていくしかない。よくあるお説教みたいだけど、それが必ずどこかへたどり着くことなんだと思うな。懸命にやること。それしかないものね。60歳でも、70歳までまだ10年あるんだから。」
 
藤森「建築のことで言えば、新しいものを見続けることが重要だっていうのはすごくある。見ると、栄養になるからね。それとね、「よし俺もつくろう」っていう気になる。現代ものでなくてもいい。過去のものでも。そのためには出歩かなきゃいけないんだけど、やっぱりフィールドを歩いて、いつもアクションを起こしていてほしい。どこかへたどり着ける感じはないんだけど(笑)、主体性にやる限り“飽きない”から。」
 
以上 日経アーキテクチュア2017年8月24日号より引用させていただきました。
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