宜野湾初日前夜に沖縄入りした付き人夫婦は、翌朝、先輩夫婦と首里城の御開門(うけじょう)の儀式を見学後、タクシーで識名園へ行き散策後、再度タクシーで首里城へ戻って首里城祭のイベントを見学しました。


その後宜野湾へ向かいました。
ホテルチェックイン後、現地調査を行いました。

10月29日宜野湾初日15時39分の映像 聞き取り調査中のヨメ あまり見ず知らずの人と会話はしないんですが、こういう時は火事の底力発揮です 小田さんの為なら~エ~ンヤコ~ラっ!


ヨメの聞き取り調査によると、朝8時前後から並ばれているみたいでした。テントのニイチャンに尋ねたら、当日券を販売するかどうかは、決まっていません。並ばれても入場できるかどうかわかりません・・・の一点張り!上司からそう言えと指示されているんでしょうね。かわいそうに・・・
この日、並ばれていた「青葉もゆる」さんが下記の証言を、Far East CafeのMessege Board 11月13日10時35分40秒に投稿されています。
「・・・開演まで3時間あまり。初日チケットがないため、並ばなければならない。僕は53番目で、50番目までが当日券を得た。待っている間は無駄ではなかった。みんな先輩と音楽が好きで、6人の方々と(先輩のことやオフコースの他のメンバーのことも)熱く楽しく話しをしていたら時が縮んでいた。
51番から54番の方々と、屋外劇場の外の公園芝生に座って、音漏れに耳をすまして、心でイメージすることに。あたりが暗闇に包まれるにつれて、風は強くなった。風にも負けず、ダフ屋の誘惑にも負けず。寒さの夜には、黄色のホッケージャージを着て(いても風を通し易くできているので、とても寒く・・・)。でも、青や赤や黄色の船が、海から渡ってきた風に乗って屋外劇場からわざわざ飛び出して、僕たちまでも楽しませてくれた。
風の音と波の音が消えて、歓声と演奏音、そして神の声の歌を聞ける。たとえかすかであっても、暗闇のなかでこそ心に響く。海辺から上がる花火の光が目の前で僕らを照らす。暗闇だからこそ輝く。
花火はたった数秒の一瞬。その美しい光をつくるためにどれだけの作業工程がかるかを考えた時、同じように作曲・作詞・編曲する時間、コンサートのためのスタッフの延べ人数・・・膨大な時間と手間がかかっている。でも、コンサートはあっという間に終わっていく。美しくはかないものは短いけれど、僕たちの心に長くとどまっている。
こんな素敵な曲を作って、そして歌って下さった先輩に、そしてコンサートに携わった多くの方々に、心から感謝しています。 」 青葉もゆる様 無断引用、お許しくださいm(__)m
注:この文章で「先輩」とは小田さんの事のようです。
なかなか、文章がお上手ですねえ~。
この写真に青葉さんも映っているはずです。この頃は、だいぶ木陰になっていますが、朝から昼過ぎにかけては木陰も無く、最悪な状態になります。(翌日、付き人が自ら経験しました)
実はこの日、並ばれた方々は最悪な扱いをされた事を、翌日、並んだ時に皆さんの証言から判明しました。
青葉さんは3時間も並んだにも拘らず入場できなかったように運営が無茶苦茶でした。
この日のチケットは入手してたのでひとまず、調査を終わり、近くのサンエーで、早めの夕食をとりました。
この時点の、チケットチャンプの相場

初日、チケットが有って良かった~
けど、明日は我が身です。けど、明日の事は明日考えよう!先ずは初日のコンサートを思いっきり楽しもう!←これって無謀な考えですかねえ~?
17時45分入場口の様子 

17時49分 スタンド後方からの外の眺め 海は大荒れ 強風が吹きつけ、厚い雲がたそがれ時の空を覆っていく←わ、青葉さんのマネしとるがな!

まだこの時点では、芝生席の詰め込みは、行われていません まだ芝生が見えています この後、これがえらいことになったそうです←詳細は後日、説明します

Sブロックの状況・・・これが現実です。この空席は終演まで埋まる事はありませんでした。

宜野湾初日は、こうして始まっていきました。感動的なコンサートの内容は諸先輩方のブログを参照ください。
あたしゃ、感激の連続で記憶が飛んでしまって、正直、記憶が定かではありましぇ~ん(~_~;)
翌日の地獄が待ち受けている事もつゆ知らず、ドップリと小田ワールドに浸った付き人・・・次回、灼熱地獄、PMエージェンシーとの戦い、そして意外な結末・・・次回、「宜野湾2日目チケットをGETせよ!中編」をお楽しみに!←おいおい、後編とちゃうんかいな!?←まだまだ続きまっせ~